極論と理想

今日はつかれたのですこしだけ。
いかんいかんと思っていても、ついつい極論に走ってしまう今日この頃。いつか死ぬしと思っていたら何もできない。頼れるのは自分だけと思っていたら生きていけない。誰も本当のことは言わないと思ったら誰も信用できない。どれも間違ってはいないと思うし、意識しておいていいことだと思うけれど、意識しすぎて何もできなくなるのもつらい。理想というのはある種の極論だと思っていたけれど、極論を言わないのが理想という理想もあるのかしら。

とそんなぼやけたことを言っていても現実は1ミリも変わらない。…はて、現実を変える必要はあるのだろうか? 世界の色合いは自分の認識が変われば変わるのだろうか? だとしたら、自分を変えることが現実を変えたことになるのだろうか?

個人と集団

国、社会というのは、言葉や数字の上ではかたちあるもののように扱われるものの、目には見えないですよね。社会を構成しているひとりひとりとは会話できても、社会そのものとは話もできない。国も同じ。おそらくは個々人の意識の和、または多数派の意見というものがその集団の方向性として現れてくるんだと思うのですが、どうにも捉えようがない。捉えようがない以上に、変えようがない。
別に「景気ってどうしたらよくなるんだろうね」という話をしたいわけではなくて、「みんなこうやってるから」「今までこうしてきたから」などなど、なんとなくでやっている習慣や規則ってどうやったら変えられるんだろう、という話です。かつてはそれでうまくいっていた、またはそうしないと破綻したというようなルールだったのかもしれませんが、外側の人間から見るとただの不合理でしかないようなルールがそこここにあります。
でもルールはそれでもルールとして、人々を動かすために一応は機能していて、それがなくなってしまうとひどいことになるんだろうなあというのも想像がつきます。急には変えられないから、少しずつ変えるしかない。それってものすごい労力のいることですし、なにより意志が必要です。歯をギリギリ噛み締めながら、グッと我慢して進む。そんなことができるためには、よほどの理由が自分の中にないといけません。
いやいや、これもきっと嘘ですね。理由があるから行動する、そんな単純な仕組みで人が動くとは限らないことくらい、28年も生きていればわかります。まだまだ勉強が足りないようです。

マンガ

半年くらい前から『鋼の錬金術師』の完全版が発売されているので、地味に買い続けています。

今日も本屋によったら10巻が発売されていたので、当然買ってしまいました。最近妻がひかりTVでアニメを色々観ていることもあって、以前にもましてマンガやらアニメやらが観たくなってきてます。が、とにかく時間がない…。昨日の日記にも書きましたが、勉強するには時間が足りない。勉強するのに本を買ったり無駄な抵抗をして、土日という日は過ぎていくのです…。
せめてもの抵抗として、今日は焼肉を食べに行きました。焼肉最高!!

コンピュータ技術者

こんばんは。東京でシステムエンジニアやってます。28歳です。
とお見合いでの自己紹介みたいなこと書きましたが、書いてて実感のないことばかりです。東京にいるんだなということは最近わかってきましたが(まあ東京にいるというのは嘘ですが)、システムエンジニアだというのはかなり怪しく、28歳だという事実はまだ受け入れることができません。
年齢のことはさておき、仕事としてコンピュータの技術者みたいなことをしているという実感がないですね。ないですねというのは正確ではなく、「いちおうそういうふりはしているし、世間的にそういうことになっている」ということくらいは理解していますが、「システムエンジニアだ、ワハハ」みたいな自信は1ミリもない、という言い方のほうが正しいです。
アプリケーションを作るSEならもうちょっとモノを作っている実感があるのかもしれないですが、メーカのSEじゃない基盤SEなんて、ただハードウェアとOSとミドルウェアの設定いじってるだけなんじゃ…という暗い気分にさせてくれるお仕事に思えることが多々あります。これってほんとにエンジニアなのかと。
やっぱりアプリケーションが作りたいという同僚がいますが、理解できる気がします。少なくとも、アプリケーションの挙動が理解できて、そのうえでハードウェアやミドルウェア、OSの動きを把握してチューニングできる(そして運用のことも考えて、システム全体を作れる)という一連の流れ全部を自前でできないと、SEとは言えないんじゃないのかなあと思います。そういう意味で、今の自分はSEとして半人前の半人前、まあよく見積もって0.25人前くらいだろうなあと。
まあ、仕方ないんですけどね。だからどうということもありません。
もうすぐ働いて5年になるので、自分が身に付けてきたものの棚卸しでもしようかなと思いましたが、「えっ、これだけ?」となるのは目に見えているので、やめます。この5年でわかったことと言えば、

  • 働いているといろんなことを勉強するには時間が足りない
  • 技術は変わる部分と変わらない部分があって、どこが変わらないかは意外と予想できない
  • システムは動かしてみるまでわからない

ということですかね。その他、会社での人間観察でわかったことであればいくらでも書けるのですが(仕事ができるかどうかと人間的にどうか、というのはほとんど相関関係がない。仕事ができるクズもできないクズもいる、などなど)、それはまたの機会に。

怠けもの

突然ですが、僕は文句なく怠けものです。朝はとにかく起きないし(ごめんなさい)、食べ終わった食器は片付けないし、ゴミは捨てない。仕事はあんまりしないし(というかできない)、出かけるとすぐ疲れる。しかしそんな僕ですが、この文章には違和感を覚えました。

人間がゴロゴロ寝ていたら、「あんた、しっかりしなさいよ!」って怒られるのに、お金がゴロゴロ寝てても怒られないっていうのはおかしいです。*1

「おかしいです」って、おかしいのはあなたでしょ…と言いたくなります。そんなふうに言われるお金に同情したくなります。というのは冗談で、特に冗談に目くじらを立てるわけではないのですが、ひょっとしたら本気でこう書いているのかもしれないと思わせるところが、勝間氏の怖いところです。

まあそんなことはともかく、自分がいかに金融の知識がないか思い知らされます。ちょっとこれは勉強しないとまずい…と焦りを感じないこともないです。個人投資に関する部分だけ勉強するのも浅ましいので、そもそも金融とはというところから学んでみましょうか。ちょうど家にも『テキストブック金融入門』があったはずなので…。

勝間和代のお金の学校―サブプライムに負けない金融リテラシー

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テキストブック 金融入門

テキストブック 金融入門

最後にどうでもいい話ですが、カバンを買うことにしました。予定通りManhattan Passageのを買います。オシャレな人には受け入れづらいのかもしれないのですが、実用性を求める人にはオススメします。とにかく軽いので…。

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*1:勝間和代『お金の学校』より

絶望

今年入ってすぐくらい、家でゴロゴロしながら鎌田慧の『自動車絶望工場』を読みました。30年以上も前の話なので今のトヨタがどうかはわかりませんが、まあ暗い話です。以下自分の書いた短いレビューより転載(ブクログより

30年以上前に出版されたルポルタージュの増補版。トヨタ自動車期間工として実際に働いた記録と、外側からトヨタを分析した部分とから構成されている。後半はともかく、前半は実際に身を置いたものでないと書けないであろう貴重な記録として読める。多かれ少なかれ工場というのはこういうものなのかもしれないが、とても自分にはつとまらないな…と思ってしまう。帯にある、「働く喜びって何だろう。」という言葉がそのまま読後の感想として湧き上がる、そんな一冊。おすすめ。

この手の本を読むと、不思議に気持ちが楽になるというか、ちょっと気持ちが上向くのは何なんでしょう。僕の性格が歪んでいるんですかね。「おれはこんな暮らしじゃなくてよかった、これからもがんばろう」みたいな感じで。それか、「こうなったら怖い。がんばろう」とか。

昨日のホリエモンの本を読んでも同じことを思いましたが、自分の中の「悪意」みたいなものを手にとって眺めてみると、こりゃなかなかグロテスクだなあと。世の中の人間がどうなのか知るすべもありませんが、もしみんなこんな風に考えて(でもそれを隠して、または抑えつけて)暮らしているんだとしたら、社会がぐずぐずに崩壊するのもあっという間なんだろうなあなんて思います。

何が言いたいかって? 大人怖い、です。