ライプニッツ

「そんなのが気晴らしになるの?」と言われつつ、気晴らしに購入。

自覚によって、永遠真理を見いだすことにもつながるが、同時に「自我」を考えることができるようになる。[……] ここで注意しなければならないのは、自覚とは、コマネズミが自分のしっぽをくわえてグルグル回り続けるようなことではないことだ。さらに、二枚の鏡を向き合わせた結果生じる、どこまで行っても、顔の現れることのないことに示される、空虚な自己関係でもない。ライプニッツがここで言いたいことは、自覚が空虚な自己関係ではないことだ。
[……]
ということは、<自分>で<自分>を考えるという自己関係ではなく、それに加えて、他者を背景として<自分>が現れるための地平が必要なのだ。[……] そういった暗い領野を背景・地平としながら、そこに浮かび上がってくる、際立った領野が、自覚、つまり<自分>ということだ。(pp.83-84)


私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

そうそう、そもそも何でライプニッツが引っかかっていたかといえば、この本で出てくるからである。僕はパー子なので、いまだにこの本が理解できない。数ヶ月に一回くらい、引っ張り出して読んではいるのだが。誰か解説して下さい。しょうがない、次はマクタガートを読もう…と言いたいところだが、日本語以外は分からないので、逃げをうって入不二基義『時間は実在するか』でも読もう。