2011年を振り返って

こんばんは。

早いもので、今日で2011年も終わってしまいます。今年は、3月に地震があってから時間の流れ方が変わったような気もしますが、終わってみれば結局「あっという間だったなあ」といういつもどおりの感想です。大した内容にならないことはわかりきっていますが、ちょっと今年を振り返ってみます。今年の主な出来事って何があったかなーと思うと…

印象深いのはなんといってもヨーロッパ旅行でしょうか。久々の海外で非常に不安でしたが、楽しかったです。自国と違う世界を見るというのは、やっぱりそれなりに考え方に影響を及ぼすのかなあなんて思ったり(もう全部忘れましたが)。その他の出来事についても、なかなかに自分の生活に変化を与えてくれていて、物質面でも変化のあった年でした。ホットカーペットは予想を大幅に超えていいものでした。おすすめします。


話題として避けてきたわけではないですが、今年は大きな地震がありました。地震そのものよりも、それを受けての人々の言動のほうが、よっぽど自分に影響を与えました(もっとも、そう言えるのは僕が被災者ではないからですが)。その人がどういう価値観を持っているか、そして何がその人をして決断せしめるかについてずいぶんと考えさせられました。逆に、そんな中で、自分の妻がずいぶん頼りになる人間だということも改めて感じました。世の中にはいろんな人間がいて、いろんな考え方の人間がいる中で、「まともだ」と思える人間が周囲にいるということは、ずいぶんな幸福なんではないかと思った次第です。

当たり前ですが、人はいつか死ぬんですよね。小学校4年生のときくらいに、「いつか死ぬ。みんな死ぬ」という事実が怖くて怖くて仕方ありませんでしたが、やっぱり今でも冷静に考えると怖いなと感じます。それなりに年を取ったので、昔みたいに布団かぶって震えるようなことはありませんが、怖いものは怖い。特に、今みたいにとても恵まれた環境の中で毎日を暮らしていると、余計に怖いです。その日その日を一生懸命、というような考え方はあまり好きではないのですが、どんな一日ももう戻っては来ないのだということの意味はどうしても考えてしまいます。自分が食べている夕ごはんも、一生のうちに食べられる回数は有限なのだなあという恐怖は、子供の頃には感じなかった恐怖として、いつも頭のどこかにあります。

高校〜社会人2年目くらいまでは、本を読むのが非常に早かったです。それはたぶん、本の中の知識とか考え方とか、とにかくそういった「自分にとって価値のありそうなもの」を吸収しようとして読んでいたからです。本なんかたくさん読んだってしゃあないよというショーペンハウアーの言葉を知らなかったわけではないですが、知識のない(知恵もないですが)自分が恥ずかしく、なんとかしなければならないという意識のほうが圧倒的に強かったんだと思います。もちろん今でも、勉強が必要だという気持ちにも事実にも変化はありませんが、それでも本を読むスピードというのはぐっと落ちました。紙の本をペラッとめくりながら、自分が何を感じたか、著者はその実何を言いたいのか(あるいは意図せずして何を語ってしまっているのか)について思いをめぐらせている時間のほうが、内容そのものについて考えている時間よりずっと長くなりました。

そんなことを、わざわざ「いつか死ぬ」という自分の恐怖と結びつけて考えるつもりはありません。でも、ページをめくるその瞬間、文字を目で追い目をつぶってふと考える、そんな時間が持つ重みのようなものは、以前とは確かに違う「生きている」という実感を僕にもたらしてくれます。文学部で小説を読んでいたときよりよほど、今のほうが本を読んでいる感覚があります。じゃあ大学時代に本を読んだことは無駄だったのかと言えば、そんなことはなく。読みながら「昔はこういう箇所を読むと文句の一つも言いたくなったもんだけど」と思いつつ、今の自分が28年間の積み重ねの結果としてあるんだということに、妙な感慨を覚えてしまいます。


明日からまた、新しい年という名のもとで今までの延長線上にある一日が始まるんだなあと思いつつ、今年の年越しそばも食べてしまったし特に見たいテレビもないしなあなんて思いながら、2011年最後の日を過ごしております。皆さまも、よいお年を。