後悔、そして歴史を学ぶ意味

最近はこの有り余る(というわけでもないんだが)時間を利用して、いろいろと勉強している。が、そこで痛切に感じるのは今まで自分がいかに勉強してこなかったのかということ。大学時代の四年間は何だったのだろうと言いたくなる。勉強しなかったわけではない。しかし、そこには切実さが欠けていた。その結果が、今だ。
とは言え、嘆いていても仕方のないことくらいはわかる年齢になった(それが年齢の問題かどうかはわからないが、昔と比べて年齢が変わっていることだけは確かだ)。要するに僕たちは、何かを学びそして何かを学ばずに生き、死んでゆくのだ。
まあ、あまりぐだぐだ言っていてもしょうがないので、最近はずっと世界史を勉強している。具体的な勉強の仕方は後日にゆずるとして(例によってめんどうくさいだけ)、思ったことを。
僕は世界史を知らなすぎた。今まで文学やら哲学やらを学んできたが、それらの作品・思想がどういった時代背景にあり、具体的にどんな状況に身を置いて書かれたものなのかが全くわかっていなかったということになる。もちろん当時を生きていない僕たちがそれを正確に把握することは不可能だし、歴史知識がかえってテクストの読み方を狭めるということはままあるだろうが、だからと言って歴史を知っていることがもたらすプラスの側面それ自体が損なわれるわけではないだろう。
何より、世界史を学ぶということは、自分の立ち位置を把握するための地図を著しく拡大することにその重要な意味がある。
*1
時間軸を遡るとともに、自分を取り囲む世界への知識を増やすことで、自分と社会の未来への想像力を強いものにしていく*2、そんなことを僕は歴史を学ぶということに期待している。

*1:図は

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

より(改変:りかん)。絵が描きたかっただけです。元の図はもっとちゃんときれいです。ちなみに、この本は文章を書くための参考書としてはいちばんのおすすめ。山田ズーニーさんという人の人柄と思いがよく伝わってくる作品でもあります。

*2:強い想像力という言葉は、内田樹から学んだ。その意味についてはまたいつか。