文体または模倣について

mixiニュースにコメントしている日記をいくつか読んでいて、あからさまに内田樹の文章を真似たものを見つけた。明らかにネタとして文章をコピペしているというのとも違うし、文体を模倣したというのともレベルとして違う。
なぜか、読んでいてとても気分が悪くなった。気持ちが悪くなった、という方が正確かもしれない。彼(たぶん男だ)は自説を語るに際して、他者の言葉を「限度を超えて」ねじ込ませることに違和感を覚えないのだろうか。私なら耐えられない。それがたとえ師事する人の言葉であっても、自分の好きな作家の言葉であっても同じことだ。自分という「うにょっとしたプロセッサー」を通していない言葉を、「これは自分が書いたものです」という体で公表する/されるなどということは、考えただけでもゾッとする。
私は物事を語るときに、「なんというかうまく言えないんだけど、表現しないことには始まんないからとりあえずこう言っておくけど」というスタンスで臨んでいる。そうしたいとかそう心がけているとかではなく、そうした歯痒さを感じずには言葉を発することができないという話である。ましてや、いかなる経験をふまえていかなる思考の過程を経て出てきた言葉かもわからないものを、文脈から切り離して文章のレベルで持ってくるなどは、完全に想像の範囲を超えている。
思うに、他人の文章をコピペして自分の文章が書ける人というのは...と書こうとしたがやめた。いずれにせよ、そういう人たちとはお友達になれそうにない。
とまあ偉そうに書いたが、単に「うにょっとしたプロセッサー」が自分のに比べて粗挽き設定なだけかもしれないし、あまり考え込むような出来事でもないのかもしれない。