覚え書き

そろそろ復帰まで時間が残り少なくなってきたので、仕上げに小説を読む時間を多めに取ることにする。

存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)

響きと怒り』については、訳者である平石教授の同作品を扱うゼミに参加していたため、なんだかちょっとした感慨がある。そのゼミの内容がどれほど翻訳に反映されているのかはわからないが。何となく、以前mixiに挙げたレビューを再掲。

 一年間かけて演習で読んだ一冊。レポートも書き終わった今なら、レビューを書いても許される、はず。

 フォークナーの作品の中では最も技巧的に凝っており、頭の中で話を組み立てるだけでも一苦労。一度読んだだけでは事実関係を正確に把握できないという難物。その最大の要因は、何の情報もなく読み始める第一章が知的障害者の視点によって語られており、なおかつ何の断りもなく過去と現在を往復するという書き方にある。
 その後に来る第二章も極めてわかりにくい語りであり、ある意味整然としていた第一章の語りとは対比的に、混沌とした語り手の意識がフォークナーによって再現されている。 語り内部における時間の移動だけでもわかりにくいのが、さらに章の構成それ自体も入り組んだ時間設定になっている。「1928.4.7」→「1910.6.10」→「1928.4.6」→「1928.4.8」という四章構成であるため、先の語りの特殊性(いわゆる「意識の流れ」)と相まって二重に複雑な構成になっている。

 技巧に注目するだけでいくらでも書けてしまいそうな代物だが、その複雑さを乗り越えつつ読み進めたとき、現前する物語の圧倒的なリアリティこそが、この小説の素晴らしさ、名作と言われる所以であろう。
 キャディを巡るセクシュアリティのテーマ、南北戦争後の南部というテーマ、そして語りの手法そのものによって提示されている言葉の挫折というテーマなど、いくら汲んでも汲み尽くせないだけの中身が、この小説には詰め込まれている。

※この小説に関しては、歯を食いしばってでも原文で読んで頂きたいと思います。一般に入手しやすい講談社文芸文庫の高橋訳には誤訳が少なくないということもありますが、それ以上にあの語りを味わうには英語でなければならないと考えるからです。*1

*1:と書いているのは、この時点での翻訳が大橋訳と尾上訳、高橋訳しかなかったため。この平石・新納訳がどこまで原文の雰囲気を伝えることに成功しているかは…読んでお確かめ下さい。