僕は何をしなければならないか

今まで、どうにかこうにか生きてきた。いや、実にお気楽に生きてきた、の間違いか。
いろいろな人の世話になってきた。今の自分があるのは、いろいろな人の存在があってのこと。とはいえ、自分がいなければこの自分の世界は存在しない。自分あっての人生、というのは当たり前だ。
ものごとを理解しきることはできない。他人の痛みを体験することはできないという意味でも、人ひとりが実際に見聞きできる範囲は限られているという意味でも。
意味というのは、自分が決められるものじゃない。僕を離れたところで、伝達され、その形を変えていく。
でも、だ。そんなこと全部ひっくるめて、自分の内に引き受け、極端から極端へと振れるその秤そのものを飲み込まなければならないんじゃないかと、思う。それは考えないということではないし、動かないということでももちろんない。引き受け、飲み込む。僕がしなければならないことだ。